写真をクリックすると写真は大きくなります。
ーーーー
★今日の予定。○下車 ◎入場
午前:移動
ブハラ → シャフリサブス 4時間 済
午後:シャフリサブス観光。
◎アクサライ宮殿跡
◎ドルッサオダット建築群
◎ドルティロヴァット建築群 済
夜:移動
シャフリサブス → サマルカンド バス3時間
夕食
ーーーーーーー
★世界遺産・シャフリサブス(Shahrisabz)
地図の下部にあるように、ドルティロヴァット建築群とドルッサオダット建築群は隣接している。
★ドルッサオダット建築群(Doru Saodat Complex)
12:45、ドルティロヴァット建築群を後に、次の目的地、ドルッサオダット建築群に向かった。白人観光客とすれ違う。英国・イングランドから来たそうだ。
ウズベキスタンでは自転車は珍しい。推察するに、一般的には道が悪いので自転車は適さなかった。シャフリサブスは道が整備されているので、使い勝手が良いということだろう。
ドルッサオダットとは『大いなる力の座』という意味で、ティムールが戦死した長男ジャハンギールのために建てた廟です。今では廃墟のようにボロボロになってしまっています。
ジャハンギールは戦争中に落馬して、22歳の若さで死んでしまったそうです。
廟内の棺はジャハンギールのものだと言われていますが、実際に開けて調べたわけではないので、真実はわからないようです。(出典:ドルッサオダット建築群|シャフリサーブス|ウズベキスタン観光情報)
★ジャハンギール廟
廟内をのぞく。標識に「ジャハンギール(Jahongir)1380年‐1404年」とある。上の説明では22歳で死亡とあるが、1380年‐1404年ということは、24歳で死亡ですよね。ウィキペディアで調べると、ジャハーンギール(1356年? – 1376年)とあった。1380年‐1404年は生存年ではなく建物の建造期間でしょうか。
棺は長男ジャハンギールのもの? 上の説明で「実際に開けて調べたわけではない」と書いてあるが、下の棺はどう見ても最近の作だ。どう見ても死亡時の1404年とは思えない。となると、「実際に開けて調べた」でしょうね。調べなければ、再保存できないでしょう。
★ティムール廟
ティムールが自分のために用意したティムール廟と呼ばれる地下の墓室が残っています。
砂遊びをしていた少女によって偶然発見されたそうです。
ティムールは自分が死んだらこの場所に葬って貰うつもりだったようですが、大雪のため遺体をここまで運ぶことができずに、サマルカンドのグリ・アミール廟に納められました。
結局、棺だけがこの地に残されています。(出典:ドルッサオダット建築群|シャフリサーブス|ウズベキスタン観光情報)
ここの標識も 1380年‐1404年です。ティムールは、1336年4月8日に生まれ、1370年4月10日 – 1405年2月18日(死亡)の34年間、ティムール朝の建国者として在位した。東方遠征に向かう途中、病で倒れ、68歳で亡くなっている。昔の人としては長寿です。
ティムール廟からでて、ドルッサオダット建築群の横を通って、先ほど見たドルティロヴァット建築群の方に戻り、バスに向かう。