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6日目<7>:グリ・エミール廟(Gur-e-Amir Mausoleum)/世界遺産・サマルカンド(Samarkand)、2016年4月17日(日)

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★今日の予定。○下車 ◎入場

午前:サマルカンド観光。
◎グリ・エミール廟(びょう)
○レギスタン広場 済
◎ビビハニム・モスク 済
○バザール
 済
◎シャーヒ・ジンダ廟(びょう) 済

昼食 済

午後:移動
サマルカンド → タシケント 高速鉄道「アフラシャブ号」 2時間10分

夕食
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★グリ・エミール廟(Gur-e-Amir Mausoleum)

以下はクラブツーリズムが旅行前に送ってきた冊子の一部。昼食前の最後に行ったシャーヒ・ジンダ廟は地図の右上。午後の最初に行くグリ・エミール廟(グーリ・アミール廟、Gur-e-Amir Mausoleum)は地図の左下である。
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14:40、昼食後、本日の5番目の観光地のグリ・エミール廟に行く。本日の観光地はこれが最後で、この後、高速鉄道「アフラシャブ号」でサマルカンド からタシケントに移動する。

グリ・エミール廟には、15:40までいた。滞在時間は60分間。

入口
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ティムール朝建国者のティムール及びその家族の霊廟である。グーリ・アミール廟は、後代に建設されたデリーのフマーユーン廟やアーグラのタージ・マハルのような素晴らしいムガル建築(英語版)の礎を築くこととなった、テュルク・ペルシア建築史上の重要な建築物である。グーリ・アミールはこれまでに大規模な修復が行われている。

グーリ・アミール廟の建築自体は1403年にティムール最愛の孫であり、王位継承者であったムハンマド・スルターンが突然の死を迎えた後に始まった。(出典:グーリ・アミール廟 – Wikipedia

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カメラチップ、1人5,000スム(約200円)払った。窓口で領収書をくれた。今回の旅行で、黙っていても領収書をくれた2回目である。
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最初に、日ウ混合撮影会をアップしておこう。どの人が日本人で、どの人がウズベク人かわかります?
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では、1つ目の門をくぐりましょう。
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くぐると、美しい建築物。両脇に塔がある。塔は全4隅にあるので、全部で4本ある。
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建物の中に入る。
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グリ・エミール廟の中で座っていたら、隣の若いウズベク男性が突然コーランを朗々と歌い始めた。その間、会場内の人々は動かず、静かにしていた。そして、歌い終わると、若い男性は出入り口に立った。すると、廟を退出する人々は、1人500スム(約20円)ほど寄進していた。見ていた限り、女子高生などを含め、全員寄進していた。マサケイは、イスラム教徒ではないし、勘弁してもらいました。スミマセン。

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内部での撮影会。
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ここはトイレです。
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江見さんの写真
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江見さんの写真
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