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★今日の地図
観光予定の順番はメチャメチャだが、上の地図で見るように、アルク城(Ark of Bukhara)からフッジャ・ヌラバット通りを歩いて、本日の3番目の観光地のカラーン・ミナレット(Kalyan Minaret、○下車)、4番目の観光地のカラーン・モスク(Kalyan Mosque 、◎入場)に行った。
★カラーン・ミナレット(Kalyan Minaret)
かつてはカラーン・ミナレットの上に明かりが灯され、砂漠を渡る隊商の道標になっていたと伝えられている。また、戦争の際には敵を発見するための見張り台としても使われていた。カラーン・ミナレットは戦争や地震によって何度か破損したが、その都度修復作業が行われた。
1121年にカラハン朝の君主アルスラン・ハンによってブハラにカラーン・モスクが建立され、モスクの前のミナレットの建設が進められた。しかし、おそらくは地盤の柔らかさを計算に入れていなかったために塔は完成の直前に倒壊し、基部を強固にした上で塔の建設が再開され、1127年に現在のカラーン・ミナレットが完成する。
19世紀後半までは罪人を生きたまま袋に入れて塔の上から投げ落とす刑が行われていたため、カラーン・ミナレットは「死の塔」の別名でも知られるようになった。(出典:カラーン・ミナレット – Wikipedia)
★カラーン・モスク(Kalyan Mosque )
カラーン・モスクは多くの建築物が立ち並ぶブハラの中でも一際目をひくモニュメントです。古来より全住民が礼拝することのできる金曜モスクは建てられていましたが、現在の敷地に建てられたのは8世紀が最初だということです。しかしそれも13世紀モンゴル来襲の際に破壊され、現在残っているのは16世紀、シャイバーニ朝の時代に建てられたものです。
名前が示すとおり大変大きな建築物で、最大で1万人もの信者が同時に礼拝できるといいます。あまりの大きさにチンギス・ハンがブハラを征服する際に宮殿と間違えて破壊してしまったという話も残っています。宗教が否定されたソ連時代には倉庫として利用されてきましたが、1970年代より補修が進められ、独立後再びモスクとして利用されるようになりました。(出典:カラーン・モスク)
★フッジャ・ヌラバット通り
フッジャ・ヌラバット通りは両脇が普通の商店と土産物屋である。
★カラーン・ミナレット(Kalyan Minaret)
フッジャ・ヌラバット通りの終わりで、カラーン・ミナレットに行くために右に曲がるところで、現地ガイドが土産物屋に寄り、土産物の宣伝を始めた。ジッと、待つしかない。
商売が終わり、カラーン・ミナレットの方に進む。石畳のパターンが面白い。
この階段で腰かけていると、猫が来た。ウズベキスタンで見た最初の猫である。
外国では、素手で動物に触るのは厳禁である。しかし、うっかり、触ってしまった。シマッタ!
階段に座っていると、階段の上で、日ウ混合撮影会が始まった。ウズベク人は写真に写されるのが大好きである。それも、日本人観光客と一緒に写されるのが大好きである。若い女性ももちろん被写体になりたがる。
この国民性がどこからきたのかわからないが、世界でもマレな国民性だ。日本人観光客は非常にうれしい。
===以下は「江見さんの写真」
ウズベク人は嬉しそうだ。
===以上は「江見さんの写真」
★カラーン・モスク(Kalyan Mosque )
カラーン・モスクは、広場を挟んで、カラーン・ミナレットと向き合っている。
カラーン・モスクに入場見学する。
中に入ると、長方形の庭を囲むように建物がある。
庭に木がある(左側)。正面の建物左にトイレがあるというので、トイレを我慢しつつ、奥に進む。正面の八角形の小さな建物もある。
トイレを済ませたが、トイレの建物の別室に足を洗い清める部屋があった。