ランダム記事 Tweet Pocket 4日目<6>:アブドゥールアジス・ハーン・メドレセ(Abd Al-Aziz-Khan Madrasah)、ウルグベク・メドレセ(Ulug'bek Medrasasi)/世界遺産・ブハラ(Bukhara)、2016年4月15日(金)写真をクリックすると写真は大きくなります。 ーーーー ★今日の地図 以下はクラブツーリズムが旅行前に送ってきた冊子の一部 観光予定の順番はメチャメチャである。上の地図に書いてないが、本日の6番目の観光地のバザール「タキ」から歩いて、本日7番目の観光地のアブドゥールアジス・ハーン・メドレセ(Abd Al-Aziz-Khan Madrasah)、8番目の観光地のウルグベク・メドレセ(Ulug'bek Medrasasi、ウルグ・ベク・マドラサ:Ulugh beg Madrassah)に行った。 すぐ近くなのに、クラブツーリズムの地図にはアブドゥールアジス・ハーン・メドレセとウルグベク・メドレセが記入されていない。困ったもんだ。「ほしがらす」さんのブログ「忘れへんうちに」から以下の地図を拝借した(出典:ブハラ旧市街で街歩き1 タキ・ザルカロン界隈)。 ⑧ミリ・アラブ・メドレセ ⑨タキ・ザルカロン ⑩ウルグベク・メドレセ 1420年創建、1586年再建 ⑪アブドゥアジス・ハン・メドレセ 1615-1652年 11:30、バザール「タキ」から、アブドゥールアジス・ハーン・メドレセに歩く。丁度、トマト屋さんが荷物を運ぶのに通りかかった。越後Bさん、値段の交渉していたようだが・・・、買わなかったようだ。 ★アブドゥールアジス・ハーン・メドレセ(Abd Al-Aziz-Khan Madrasah)1615-1652年 アシタルハニー族のアブドラジーズ・ハンの命令によって、ウルグベク・メドレセの正反対に新しいメドレセが建設された。このブハラのハンは、バルヒからインドの軍隊を追放したことで有名であった。新しい建物は、ハンの名誉と威力を宣言するはずであった。このメドレセは、ミリ・アラブ・メドレセを模して造られたもので、高い入り口、正面には2つのドーム型のホール、その周りに二階建てのフジュラ、中庭に4つのイーワーン、建物の各角に丸い塔があった。 面積は60X48㎡である。その東北の角に教室があって、西北の角には、冬用のモスクがあった。ミヒラブと夏用のモスクは、南のイーワーンにある。(出典:ブハラ旧市街で街歩き1 タキ・ザルカロン界隈。原典は『中央アジアの傑作 ブハラ』 SANAT 2006年) ★ウルグベク・メドレセ(Ulug'bek Medrasasi)1420年創建、1586年再建 ウルグベクは為政者でありながらも、天文学や詩吟、音楽、神学、歴史学などに通じ、学問の高揚に努めていました。彼は教育の重要性を悟っており、1418年にこのメドレセを建築しました。現存する中央アジアで最古の神学校です。メドレセの扉にはウルグベクの格言「向学心こそ、ムスリムになくてはならぬもの」、「信仰する人には、いつでも神の祝福の扉が開かれている」と彫られています。(出典ウルグベク・メドレセ) ============ ★今日の実際 ★アブドゥールアジス・ハーン・メドレセ(Abd Al-Aziz-Khan Madrasah) 11:50、入口に到着。入口の両脇は土産物屋である。入るとき、カメラチップ1人5,000スム(約200円)(3,000スムだったかも)徴収された。領収書なし。しかし、中はカメラチップが明らかに不当だと思うほどボロイ。 中に入ると長方形の中庭と周囲の建物。建物の壁面がこそげて、ボロイ。今まで見た中で、一番ボロイ。ただ、ボロイのは、それなりに魅力的でもある。建物前に、土産物屋がいくつもあった。 井戸がある。覗いたが水は見えない。 一角の2階に、生徒5人の神学校の教室があったそうだ。 入口。 中をのぞく。裸電球だけで薄暗い。右の階段を上がる。 10畳くらいの貧相な部屋。何もない。中央の床の穴はなんでしょう? 備え付けの小物を置くスペース? 壁のシミがラクダに見える 教室からでると、ツアー客は土産物に群がっていた。 陶磁器は美しい ★ウルグベク・メドレセ(Ulug'bek Medrasasi) 12:20 。まだ昼食に連れてってくれない。空腹ではないが、ひどく疲れた。ここの、集合時間は12:30だった。滞在時間10分。 入口は土産物屋。 入口を抜けると、長方形の中庭。周囲に建物。正面は修理中。しかし、何もない。 人がいない。 われらのツアー客のみ。 12:27、もうみんな疲れた。アブドゥアジス・ハン・メドレセの前に腰かけて休み。日陰だし。